341 『ジュリ または新エロイーズ』 ジャン・ジャック・ルソー

  • 2017.04.29 Saturday
  • 15:45

 これは、「アベラールとエロイーズ」の恋物語を模してルソーが書いた書簡体の恋愛小説。なので、「新エロイーズ」と題されている。

 

 自分の教え子である大富豪の貴族令嬢ジュリに身分違いの恋をした家庭教師サン=プルーの狂おしい思いを記した書簡から、話は始まる。恋は盲目というけれど、サン=プルーの熱狂ぶりはかなり度を越していて、「こんな思われ方をしたら引いてしまうかも」というのが正直な感想だ。一人浮かれて騒ぎ立て、それが実は恋人の名誉を傷つけたり、恋人を危険な目に遭わせてしまうことになる(だって、二人の仲は極秘なのだから)ということをまるで考えていないサン=プルーには怒りさえ覚えるが、つまりは、恋とはどうしようもなくエゴイスティックなものだということなのだろう。そんなサン=プルーを慰め、支え、諭して、大きな愛で包み込むジュリは、なんと寛大なことか。

 

 それでも、サン=プルーは、周囲の人々に、なぜかすぐれた人格者だと思われている。そして、その人格を認めたエドワード卿はジュリの父親にサン=プルーを勧めるのだが、それが逆効果となってしまい、サン=プルーはエドワード卿と共にジュリのそばを離れざるを得なくなる。

 

 以後の書簡では、ジュリ自身がサン=プルーのことを「哲学者さん」と呼んでいるように、それまで以上に随想的・哲学的な内容が増えていく。恋愛小説の形を取りながらも、自分の哲学的随想を記すのは、思想家ルソーとしては外せないところ。だが、恋愛小説だと思って読んでいると、あまりにも固すぎ、重たすぎる気もする。

 

 二人の手紙の仲介をしていたジュリの従姉が結婚し、手紙のやり取りが難しくなったことからついに文通していることが父親にばれてしまい、ジュリは父が決めた許嫁ヴォルマールと結婚させられてしまう。絶望したサン=プルーはイギリスの陸戦隊技師としてヨーロッパをあとにする。

 

 その4年後、ジュリは二児の母親となっている。サン=プルーは航海から戻ってきて、ジュリと夫のヴォルマールはサン=プルーを友人として家に迎え入れる。

 だが、かつての夫から二人の恋のいきさつをすべて聞かされ、それを承知の上で厚遇されるサン=プルーの窮屈さ、胸苦しさ。ルソーもまたサン=プルーと同じような経験があるということで、サン=プルーの無念や苦しみが生々しく描かれている。

 こういったやたらと礼節を重んじる人間関係は、淑徳がもてはやされた時代だからこそのことなのかもしれないが、かつて一緒に駆け落ちすることさえ考えたほどの恋人同士が、4年後彼女が結婚し子どもが生まれたといって、今もまだ自分のことを愛し続けている男を前に平気でいられるものだろうか。夫もまた、そんな元恋人を平気で自宅に招き、妻を信じているからと、二人を残したまま旅行に出たりできるものだろうか。どう考えても、この設定は、あまりにも嘘くさい。

 

 『新エロイーズ』は、「アベラールとエロイーズ」だけでなく、イギリスの作家リチャードソンの『クラリッサ』の影響を強く受けている。『クラリッサ』は、バルザックの『人間喜劇』の作品群の中でも何度も言及されているほど、当時のヨーロッパで話題になっていた作品。クラリッサや同じ作家の『パメラ』のパメラがかたくなに淑徳を守ろうとするのは、当時の貴婦人たちのあまりの不道徳さを批判しているのだろうけれど、この2作品があまりにも話題となったために、類似作品やパロディが次々と出た。この『新エロイーズ』もそうで、「この作品はフランス版『クラリッサ』であり、『クラリッサ』には遥かに劣る」と酷評されたそうだ。

 

 私としては、ジュリはクラリッサよりははるかに情愛にあふれており、恋と家の存続の間で悩む姿は、とても人間的だしリアルだと思う。ただ、自分の思いを一方的に投げつけるだけの激情的かつなんの配慮もないサン=プルーと哲学的思想家サン=プルーの間にはあまりにもギャップがありすぎて、サン=プルーにはどうしても好感が持てなかった。

 

 そして、まあ予想通りともいえるラスト。それは、恋に破れたルソーの希望でもあったのだろうか。

 

新エロイーズ