359 『テレーズ・ラカン』 エミール・ゾラ

  • 2017.10.18 Wednesday
  • 18:47

 セーヌ左岸、セーヌ通りとマザリーヌ通りをつなぐ日の当たらない、アーケード通りパサージュ・デュ・ポン・ヌフ。この小説の舞台は、二つの通りをつなぐ抜け道で、よほど道をよく知っている人しか通らないうらぶれたその小路の小さな店テレーズ・ラカンだ。

 ラカン夫人には、病弱な一人息子カミーユがいた。ラカン夫人は、兄の一人娘テレーズも息子と一緒に育てていて、ラカン夫人は、病弱な息子とテレーズを結婚させた。そして、結婚後パリに出たいと言い出したカミーユのため、ラカン夫人は、セーヌ河沿いヴェルノンのパサージュ・デュ・ポン・ヌフのじめじめした店舗付き住居を購入し、三人は、そこに住むことになった。

 

 母親に溺愛されて育った病弱なカミーユは、何の魅力もなく、女性を満足させることもできない男だった。鉄道会社で働き、家に帰るとすっかり疲れ果ててただ寝るだけの男だった。一方、長年病弱なカミーユと一緒に育てられたたために一見おとなしそうで従順に見えるカミーユは、実はとても健康的・情熱的な女性で、男としては全く魅力のないカミーユとの結婚生活にうんざりしていた。

 

 テレーズは、夫が家に連れてきた同僚のロランに一目で興味をもち、ロランもまた、テレーズは火遊びの相手にもってこいだと目をつける。職場を抜け出しての真昼の情事。誰も、二人の情事に気づきはしない。ところが、その情事が不可能になったとき、二人の心に、カミーユ殺害という暗い炎が点った。

 

 二人は完全犯罪を成し遂げた。だが、ロランの首に残ったカミーユの噛み傷はいつまでも完治せず、その傷がロランを苦しめ続ける。また、死体公示所(モルグ)で見たカミーユの顔は、夜ごとロランの脳裏に浮かんで、彼をまともに眠らせようとしない。

 農民出身の愚直なロランは、深く物事を考えることもなく、欲望のまま発作的、暴力的にカミーユを殺してしまった。だが、頑強であるために日中は何の良心の呵責も受けずに過ごせるロランも、夜になってテレーズと顔を合わせたとたんに、ヒステリックな彼女に影響されて、カミーユの亡霊を感じるようになってしまうのだ。テレーズもまた、一人の時はそれほど罪を感じずにいられるのに、ロランを見るたびに二人の罪が思い出されて、ヒステリックにならざるを得ない。

 二人の間には、常に、亡くなったカミーユが横たわっている。日の当たらないじめじめしたパサージュ・デュ・ポン・ヌフという舞台は、カミーユの亡霊が現れるのにぴったりの場所だった。そして、いつまでもカミーユが消え去ることのないその家は、ますます陰惨な場所になっていく。

 

 私個人としては、中風の発作を起こし身動きが取れなくなってしまったラカン夫人の前で二人の悪事が露見し、だが、その二人をただラカン夫人は見ているしかできないという設定のすごさが、なんとも印象的だった。殺してやりたいほど憎んでいる相手に何もできない。その相手に世話をしてもらうしかない。心の中に何を思っていても、ただ、何一つできないまま見ているしかない。ただ、毎夜、二人の狂乱と破滅をじっと見ているというこのラカン夫人の設定こそが、ゾラの真骨頂なのではないかと思う。

 

 

 

 

テレーズ・ラカン