509 『西部戦線異状なし』 レマルク

  • 2018.11.18 Sunday
  • 10:45

 パウル・ボイメル、20才。

 彼は、志願兵として戦場にいる。兵士になって2年経っているというから、日本でいうところの学徒出陣のようなものだろうか。

 

 パウルたちがいる前線は、なかなかにひどい状態にある。

 ある時などは兵士の半分が戦死してしまい、後方の宿舎に戻ってきたときには用意されていた食事を二人分ずつ食べることができたため、珍しくはらいっぱいになったとパウルたちは大満足している。

 もちろん、仲間たちが死んだのだ、悲しくないはずがない、辛くないわけがない。だが、何年も戦場で人の死を見ている兵士たちは、そういったことにも感覚がすっかり麻痺してしまっていて、彼らが親身に感じていることは、今自分が生きているということだけなのだ。

 

「ぼくたちが戦争に出てきて以来というものは、昔の生活とはまるでぶち切られてしまっている。ぼくらがなにもぶち切ろうとしたんでもなんでもないのだ。ぼくらは何度も昔の生活を一目見渡してみようとし、またそれに対する説明を得ようとしたが、どうもうまくゆかない。特にぼくらのような二十歳の若者にとっては、あらゆるものがぼんやりしている。」

 

 パウルは、何度も、自分がもはや以前の自分ではなくなってしまったことを思い、まだ20才だというのに自分は年寄りだ、もう自分の人生は終わってしまった、と感じている。そして、自分が怖ろしいくらいに孤独になってしまったということに苦しんでいる。

 いつ死ぬか分からないような極限の状態。そんな中にあっては、日常など無いに等しい。彼らは、ただ、今を生きている。同じ戦場にいる者同士として、その日一日を無事に過ごし兵舎に戻ってくれば冗談も言い合い、わずかな食べ物を分かち合ったりもする。だが、それほど仲良くしていた仲間であっても、彼が片足を失くし病院に入れられると、とたんに「あいつにはもう必要ないんだから、あいつのあのいい長靴をおれにくれないだろうか」と、そればかりに固執するようになる。それは、怪我をした兵士をないがしろにしているというのではなく、ただただ、合理的に今のことだけを考えているからなのだ。

 ようやく長期休暇をもらって家に戻っても、パウルの心は落ち着かない。
 故郷では、「戦場はどうだった?」と誰もが言う。だが、本当の戦場の様子を、果たして彼らに話せるものだろうか? また、自分は戦争に行ったこともないのに、パウルの前で自分は何もかも知っているのだという顔をする者もいる。さらには、兵士はうまいものを食べているんだろう、残された私たちの貧しい食料事情を考えたことがあるか、と食って掛かる者もいる。
 そこには、もう、パウルの居場所はない。ただ一人彼を分かってくれそうな母親は、癌で死にかかっている。

 戦場に戻るとやっと自分の居場所にいるという気持ちになるが、だが、そこは、死と向かい合わせの場所だ。一刻の気のゆるみも許されない。
 激しい激戦。次々と死んでゆく仲間たち。そして、ついに、パウルも、1918年10月戦死する。だが、司令部の報告は、「西部戦線異状なし 報告すべき件なし」と簡略なものでしかない。一兵卒の死など、何の価値もない、と言うように。

 このひとことの、なんと重いことか。

 

 

西部戦線異状なし